水たまりノート

- The Puddle Note -

読書感想文の書き方を教えるべきか(絵画教室の話)

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幼少期、習い事は少なくとも数年以上と長く続く方だったが、ひとつだけ数日でやめてしまったものがある。

絵画教室だ。

私があまりに委縮した絵を描くようになったので母が急いでやめさせた。

絵画教室の様子

教室は先生のご自宅の一部をアトリエにして開かれていた。

先生はあっけらかんとして明るい40~50代女性で、近所のおばちゃんといった雰囲気だ。

生徒との距離が近く、生徒がなぜか冷蔵庫にアイスがあるのを知っているほどだった。

大人とは一定の距離を保ちたかった私はどう接していいかわからなかった。

「本当にこう見える?」

その日は先生の家のものをなんでもいいから描いてみようというテーマだった。

私は周りに人がいないことを確認し、庭のコスモスを描き始めた。

描いている途中を他人に見られるのがなんだか恥ずかしくて苦手なのだ。

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一輪描き終えようとしたとき、先生がいきなり現れた。

先生は私の絵をのぞき込んでこう言った。

「本当にこう見えるのかなあ?」

私は困惑した。

これは私が間違っているときの聞き方だ。

でもわからない。こう見えるもの。

すると先生はさらりと私の画用紙に一筆描き加えて言った。

「ほら、こっちの方がリアルでしょう?他のもこうしてご覧」

私は間違っている

先生が描いたのはコスモスの葉を肉付けするための線だった。

私は一本の線でしか葉を描いておらず、確かにこれでは本物の葉からは遠いし、色も塗れなさそうだった。

先生は正しい。

私は間違っている。

私は他の葉にも肉付け線を描き加えながらなんだか涙が出てきた。

筆圧が濃くなる。

先生の描いた葉が恨めしかった。

表現の方法を教えること

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読書感想文の書き方を子供に教えるべきかと言う話が出ていると聞いた。

私は教えるべきだと思う。

正確に言うと、子供が抱いている感情や考えを、より効果的にわかりやすく人に伝える方法を教えるのは必要だ。

でもこのとき気を付けなければならないことがある。

それは子供の「想い」をそのままに、「表現の方法」だけを教えるということである。

私にはコスモスの葉は線のように見えたのだ。

これは私の見方、想いだ。

しかし先生は「表現の仕方が拙いがゆえにこうなっているのであって、線には見えていないはずだ」と思い、描き直してしまった。

私からすれば自分の想いを否定されたも同然だ。

先生はどうすればよかったのか

先生はどうすればよかったのか。

私の希望を言うのなら、せめて「あなたにはこう見えるんだね」と私の絵を認めてほしかった。

そして「こんな葉っぱの描き方もあるよ?」と先生の画用紙に色々な葉っぱを描いて見せる形で教えてほしかった。

そうすれば私はそれを見て、なるほどこう描けばもっと自分が見たもの・感じたものに近くなるぞと考えたかもしれない。

けれど実際はそんなことはなく、私は先生の前でもう間違わないようにと絵を小さく小さく描くようになってしまった。

さいごに

読書感想文の書き方も、同じだと思う。

本を読んで感じたことを否定はできない。

「つまらなかった」「面白かった」「楽しかった」。

それに対して、どう掘り下げればいいのか、どう書けば文になるのか、どうまとめれば文章になるのか。

文章の書き方を表現方法として身に付け、武器にしていくためには教えるべきだが、細心の注意が必要だ。