水たまりノート

- The Puddle Note -

差別用語「キチガイ」「身障」について

この記事をシェアする

ファミレスで小エビのサラダを食べていると隣からこんな声が聞こえてきた。

「アイツはキチガイやから。」

私はピクリとした。

この言葉が大嫌いだから。

Twitterでフォローしてる方が以前にこの言葉を呟いていて、そっとフォローを外したこともある。

これと同じくらい嫌いな言葉が、「池沼」「身障」。

私が中学生くらいのころから、この言葉を遣う人が出てきたように記憶している。

私は障害者

私は精神障害者だ。

躁うつ病を患っていて、精神障害者手帳を持っている。

また、私の母は身体障害者だ。

母も同じく手帳持ちだ。

股関節の骨頭が溶けてほとんどない。

私が子供の時から杖をついている。

差別用語

上に挙げた差別用語を遣う人は恐らく健常者だと思う。

身近に障害者が居なかったのだろう。

自分が差別用語を使って表現しているものが何か判らずに、ただただ相手を侮蔑する言葉だということしか知らない。

キチガイ」について

私は精神病院に入院したことがあるが、そのとき本当に自分がわからなくなってしまっている、ただ食べて寝るだけになっている人を見た。

怖かった。

それでも人は生きようとするのかと思った。

とても笑いながら「キチガイ」などと指差したりできない。

自分もいつかこうなるのかと自分に潜む何かに怯えもした。

「身障」について

さて、対して身体障害者の母の生活は明るい。

毎日家事もすれば車で出掛けもする。(余談だが普通の車だ。特別な改造はしていない。)

水曜日は映画館で大冒険をするのが好きだし、習い事の教室では真剣に作品を作り上げてくる。

杖をついている姿は彼女の一面に過ぎない。

実態を知らないから遣える

差別用語を遣う人は実態を知らない。

だからこそ遣える。

暗い面も明るい面も見ちゃいない。

暗い事実を知っていればこの言葉がどれだけの重みを持っているのか判るだろう。

明るい面を見られるのなら頑張る人をこれらの言葉がどれほど傷付けるか判るだろう。

…幸せな人たちなのだと思う。

言葉のちから

言葉とは不思議なもので、その言葉があるからそのモノ(概念)があるらしい。

緑の壁に「黒板」と名前をつければ、たちまち黒板というモノが現れるみたいに。

それと同じように、「キチガイ」「身障」という言葉があるから差別ができるんじゃないかと思う。

じゃあ差別を無くすには言葉が無くなればいい?

差別用語を無くすには

というわけで、私の希望は差別用語を遣うことがなくなることだ。

そのためには別に幸せな人たちを不幸にしなくてもいい。

人間には想像力がある。

ちょっとばかり想いを馳せてみて欲しいのだ。

障害者という人たちに。

こういう人たちも世の中に一定数いて、自分と同じように人生を楽しんだり苦しんだりしている。

どうしても受け入れがたい場合もあるかも知れない。

障害者を好きになれとは言っていない。嫌いで構わない。

嫌いなことと差別とは違う。

さいごに

今回は差別用語について書いた。

これらの言葉が実際の障害者に向けられる場面は少ないと思っている。

最初に挙げた、私がファミレスで聞いた言葉は冗談で友達のことを言っているようだった。

でも、こういう言葉を遣う人と遣わない人とでどちらが差別的かを考えればそれは前者だろう。

言葉だけでなく、差別それ自体がなくなることを願っている。

追伸

全く関係ない話だが、先日女性議員が「このハゲー!!」と怒鳴った件も彼女がハゲの苦悩を知らないが故の発言だろう。

想像力を色々な場面、人について働かせると失言も減るかなぁ。